人ってさぁ、完璧なんていないんだよ。

皆、何かに悩んで生きる。特に私は3年中退。悩んで進めって言われてるよなもん。

でも、それが成長のきっかけならそれはいくらでも悩んでいいと思う。

強くなれたり、きっかけだったり、産まれたときは皆子ども。

 

人と関わる仕事をしていると、反省する所とか、ここは駄目な所とか、

色々、色々、めまぐるしい日々が待っている。

同じような答えなんて返ってこないから。

 

その中で、人の人生に関わるときだってある。

考えたくなくても、関わっている限り、考えなくちゃいけない。

それが、人間として、学ぶ。という姿勢なんだと思う。

 

そこで、人を否定して愚痴を言う事なんて、許されない事なんじゃないかな。

ゆとりが言う、ゆとり的ゆとり世代が学んで言える唯一の学び。。。

 

幼児関係の仕事をしていて、一つ。

いつも、同じ園児で遊んでいたおもちゃを無理やり壊す子がいた。

同じ園児の子は泣いちゃう。せっかくわたしの物だったのにって。

先生はこれが収まらなくて、困っている。という日々の連続で悩んでいた。

「遊んでいたものを奪っちゃダメでしょ」「悲しんでいるから謝りなさい」

言っても聞かなかった。私もこれは悩まなくちゃいけないと思って、

それをわたしは、園児に嫉妬しているんだ。って思った。

楽しそうに、上手に出来ているおもちゃが出来て、嫉妬しているんだって。

分からないけど、怒る機会があって、一言言った。

「自分がやられちゃ嫌なことを人にやっちゃ駄目だよ」って。

勿論その言葉は自分に対しても問いた。果たしてあたしが言える言葉なのかって。

だけどそれから、色々接する事があって、自分に自信は無かったけど、

極力、何してたかなぁ・・・一生懸命話を聞こうとはした。それは、心掛けた。

少しずつその子が変わり始めたかは分からないけど、この間見たときは、

同じ園児の子に手を差し伸べて手をつなごうとしていた。

それだけでも、あ、この子は人に優しく出来る子なんだって、ホッとした。

時々今でも人の物崩しちゃうけど、私の心掛けが足りなく、そして言葉足らずか、

あたしに言われたくなかったのかもしれない。

でも、どの場面でも、人に一つでも優しく出来る子は、誰にでも優しく出来る。

人と生きるとは、協力とは、こういう事なんだって、学んでいくと思うんだ。

 

こんな風に、完璧な人間なんていないんだよ。

 

子どもと接すると、一つ、大人は子どもの幻想なんだって。

あたしは子どもをとても尊敬する。

確かに私も、団体行動では我慢もしてきたし、その道を進んできた。でも、

大人になるにつれて、自由になっていって、

大人って惨めで愚かなだなって自分でも思う。

自分でお金を稼ぐことの知恵を、謙虚に学んでいっている子ども・子供は、

いつか必ず報われる日が来るんだよ。

 

それが厳しくてツラい時もあって、衝突もある時も勿論あると思うけど。

そのきっかけも、いつかは笑って話せる日が来るように、人は必ず成長する。

 

笑える日が来るんだと思って、泣くときだってある。

涙を流すって大人になったら労力なんだけど、

きっと、こんな涙しか流してない人もいる。

そんな人を私は、人の良いところとして、成長の一つにしたい。

それは、”しょうがない”から起こった涙なんだ。

 

もし、これから涙を流すなら、”しょうがない”から涙を伝う様にしていきたい。

びっくりした・しょうがない。

 

子どもに学ぶもの・人に学ぶものなんて沢山ある。

 

でも極力、穏やかに、宥めるように、時間が流れていったら良いな。

 

私は童心を忘れないというポリシーを持って生きてるんだけど、

いつまでも、童心を忘れないで生きていきたい。

やっぱりそれは、私にとって大切な事なんだと思った。

童心を忘れない=謙虚になる。

 

恵まれた位置にいる事に感謝しなくちゃいけない。